慶応4年1月12日 慶喜 今後の対応を協議
江戸に戻った徳川慶喜は、幕臣と今後の対応について協議しています。
品川沖に到着した慶喜は、きょう江戸城に入りました。新政府は慶喜の追討令を出していて、今後、新政府軍が江戸に侵攻するとみられます。
慶喜は、善後策を講じるため、主だった旧幕臣を集め会議を開きました。
主戦派の小栗忠順と榎本武揚は、小田原に展開した陸軍と駿河湾からの艦砲射撃で、箱根で新政府軍を挟み撃ちする作戦を提案しました。
しかし、慶喜は「鳥羽・伏見の戦いは、当初から戦意もなかった。会津・桑名が勝手にやった」といい、側近数名だけで大坂から密かに逃亡したことについては「江戸で朝廷に従う意を示したかったが、好戦派の妨害を避けたため」などと述べました。
こうした発言などから、慶喜は新政府と全面戦争する意志はないとみられます。
一方、薩摩藩の国許では、戦費がかさんでいるため、何事も節約に努めるよう、藩からおふれが出ています。