明治元年11月29日 松前藩主が死去
蝦夷から弘前藩に逃れていた松前藩主・松前徳広が、死亡しました。25歳でした。
新政府側の蝦夷・松前藩は、旧幕府軍の土方歳三らの激しい攻撃で城や重要拠点を次々と落とされました。
藩主の松前徳広と家臣ら一行は蝦夷各地を転々とした後、11月19日、およそ70人が船で蝦夷を脱出し21日に弘前藩に到着しました。
一行の疲労は激しく、前藩主の5歳の娘が船の中で亡くなったということです。
徳広は、弘前城下の寺、薬王院に滞在していましたが、結核をわずらっていて、繰り返し吐血するなど病状は重く、けさ死亡しました。25才でした。
家臣たちは、徳広が病死したことを隠し、「敗北の責任をとって自害した」と新政府に届け出る方針だということです。徳広のなきがらは、弘前城下の長勝寺に仮埋葬される予定です。