明治元年9月24日 会津藩 おととい降伏
きょうは明治元年9月24日です。会津藩はおととい新政府軍に降伏しました。
1か月に渡り籠城を続け新政府軍と戦った会津でしたが、おととい午前、白旗をかかげ降伏しました。
昼過ぎには大手門前の路上で降伏式が行われ、会津からは松平容保・喜徳父子が、新政府軍からは薩摩の桐野利秋が臨みました。容保は桐野に総督府宛の「謝罪書」を提出。「官軍と戦った大罪は自分が負うもので、どんな刑を仰せ付けられても構いません」としました。
一方、式に臨んだ重臣らは、「戦争責任は家臣にある」とし、容保父子への寛大な処置を願う嘆願書を提出しました。
降伏式の後、容保父子は城内に埋葬された戦死者の墓に花を供え、生き残った兵たちに別れを告げたあと、寺に入り、謹慎しました。
また、兵士のほか、山本八重ら戦闘に参加した女性や老人も城から退去させられました。鶴ヶ城は、きょう開城され、桐野が兵を率いて入城。大砲50門、小銃2845挺など、会津側の兵器の目録とともに城を受け取りました。