慶応4年7月19日 徳川慶喜 駿府へ
きょうは慶応4(1868)年7月19日です。実家の水戸に謹慎していた前将軍・徳川慶喜は、駿府に移りました。
関東北部の水戸藩は、戦場の奥州に近く、新政府と奥羽越列藩同盟との戦いにまきこまれる恐れがあります。
慶喜は、きょう水戸を出て銚子から船で駿府に向かいました。
駿府には、徳川宗家を相続した徳川家達がいて、慶喜の駿府行きは、新政府も許可しています。
駿府では、寺で謹慎を続ける予定です。
一方、東北方面では、奥羽越列藩同盟側の庄内藩と一関藩が、奥羽鎮撫総督が本拠を置く、秋田・久保田藩への攻撃を開始しました。
東北の戦線が激しさを増す中、薩摩藩庁では、きょう国許に戻っている西郷隆盛に越後への出陣が命じられました。
いよいよ西郷が戦線に復帰します。