慶応4年7月5日 新政府 庄内藩攻める方針
きょうは慶応4(1868)年7月5日です。奥羽越列藩同盟側の久保田藩が新政府側につき、新政府軍は、久保田を足がかりに山形庄内藩を攻める方針です。
新政府軍参謀で薩摩の大山綱良は、きのう、久保田の青年藩士たちに仙台藩からの使節団を斬らせ、久保田藩を新政府側へ取り込みました。
久保田藩は奥羽越列藩同盟を脱退し、新政府軍の一員として庄内藩討伐に加わることになりました。久保田藩の南に位置する庄内藩は、会津藩とともに新政府から朝敵とされています。
久保田藩にいる新政府の奥羽鎮撫軍は、薩摩・長州などが主力の精鋭で、あす6日、大山の指揮で庄内藩討伐に向かいます。
対する庄内藩では、最上川から一番大隊を30艘の舟に乗せて藩北部の要衝・舟形に前進させ、久保田から南下する新政府軍に備えています。
歴戦の薩摩藩兵と、東北で最強とされる庄内藩兵が、まもなく直接対決するものとみられます。