慶応4年6月15日 薩摩藩 戦死者朝廷に報告
きょうは慶応4(1868)年6月15日です。
1月の鳥羽伏見の戦い以降の薩摩藩の戦死者が朝廷に報告されました。
京都の薩摩藩邸は、きょう朝廷に対し、今年1月以降、旧幕府側との戦いで戦死した藩士の名簿を報告しました。
報告は、今月10日までの締め切りでしたが、藩主・島津忠義の帰国や、奥州・北越方面での戦争の対応に追われ遅れていました。
新政府は人材不足で、薩摩藩士も業務を担っており、藩邸も激務が続いています。
一方、京都から国許に向かった藩主・忠義は、きょうまでに西郷隆盛とともに鹿児島に帰りつきました。
忠義は当初、朝廷から東日本平定のため兵を率いて江戸に向かうよう命じられていましたが、出発直前になって西郷が反対し、出陣は見送られていました。
新政府幹部によりますと、西郷は忠義の帰国の理由について「東北・北越に向かう兵を募るため」と説明したということです。