慶応4年6月14日 「龍田丸」大阪を出航
きょうは慶応4(1868)年6月14日です。越後に向かう新政府軍が薩摩藩船「龍田丸」に乗って大阪から出航しました。
新政府軍は、奥羽越列藩同盟軍と東日本各地で戦闘を続けています。
越後では、長岡城を占拠したものの、長岡藩を中心とする同盟軍は城の奪還を狙っています。
長岡藩は、洋式銃やガトリング砲アームストロング砲など最新装備を備え、新政府軍と一進一退の攻防を繰り広げています。
新政府の目指す会津征伐には、西の側面にあたる越後の征圧が欠かせません。
戦局を打開するため、新政府は、軍務官知事の仁和寺宮嘉彰親王を会津征討・越後口総督に任命し、公家の西園寺公望と壬生基修を参謀に付けました。
彼らは薩摩藩の輸送船「龍田丸」で大阪港を出航しました。龍田丸には、新政府北陸道軍の補給物資も積み込まれています。