慶応4年6月7日 薩摩 援軍の準備整う
きょうは慶応4(1868)年6月7日です。薩摩の国許では、東北・北越戦線などに向かう兵の準備が整いました。
東北・北越では、新政府軍と会津・仙台・越後など30数藩からなる奥羽越列藩同盟が戦闘を続けています。
戦線の拡大を受け、新政府は援軍の派遣を諸藩に要請し、薩摩藩でも家老の新納中三が兵の準備を整えました。
薩摩藩庁によりますと、兵は小銃8個小隊と大砲隊で、このうち半分は江戸に派遣されます。江戸へは島津忠義の代理として家老の島津伊勢が京都の薩摩藩兵を率いて向かっていて、国許の援軍はこの軍勢と合流する見込みです。
のこり半分の部隊は、京都の守備に派遣されます。兵は蒸気船で急行させるということです。
新政府の北越・奥羽方面での兵力不足は深刻で、薩摩から派遣される兵は、すぐにも前線に投入されるとみられます。
国許では兵士の家族が戦地での無事を祈り神社に石灯籠などを奉納しています。