慶応4年6月5日 忠義の江戸出征が中止に
きょうは慶応4(1868)年6月5日です。きょう予定されていた島津忠義の江戸出発が中止されました。西郷隆盛の反対があったということです。
東日本平定のため関東に向かうよう朝廷に命じられていた薩摩藩主・島津忠義は、きょう出発の日を迎えました。忠義は、二条城で天皇に出発の報告をし、金3万両と錦の御旗などを下賜され、藩邸に戻りました。
そこで、ちょうど江戸から上京してきた西郷隆盛が、忠義の出立に待ったをかけました。西郷の意向でただちに朝議が開かれ、忠義の出征はいったん中止となりました。
ただ、各地で戦争が続く東日本への援軍派遣は急務で、忠義の代理として家老の島津伊勢が兵を率い、江戸へ向かうことになりました。
西郷が、忠義の出陣に反対した経緯は詳しく分かっていませんが、藩主自ら激戦地に行き、万が一のことがあっては困るという懸念もあるとみられます。