慶応4年5月24日 徳川家の処分決定
きょうは慶応4(1868)年5月24日です。新政府は徳川家の処分を決め、駿河などあわせて70万石の領主とすることを発表しました。極めて厳しい処分内容です。
徳川宗家は、新政府の処分案に従って、徳川一族の田安家が相続し、駿河府中藩の一大名となりました。
藩主は田安亀之助から名を改めた徳川家達です。
石高は70万石で、公称800万石、実質400万石といわれた徳川宗家にとって、きわめて厳しい処分です。
徳川家に仕えた旗本は、生活の保障が無い駿河へ行くか、新政府に登用してもらう道を探るか苦渋の選択を迫られることになります。
一方、きょうは北越戦線でも動きがありました。薩摩藩の軍艦「乾行丸」と長州藩の軍艦「第一丁卯丸」が旧幕府側の輸送船「順動丸」を砲撃し、自爆させました。
順動丸は、新政府軍と戦う奥羽越列藩同盟の長岡藩のために、兵士や武器を運んでいました。輸送船は沈み、長岡城も新政府軍が占拠していますが、長岡藩兵を中心とした同盟側は城の奪還を狙っていて、戦況は予断を許さない状況です。