噴火繰り返す 口永良部島
きょうは、平成26年に34年ぶりに爆発し、その後も活発な活動を続ける口永良部島について屋久島支局の大内記者の報告です。
屋久島の西、およそ12キロにある口永良部島の新岳は、昭和41年にけが人3人を出す噴火が発生するなど、昭和40年代以降、噴火を繰り返してきましたが、昭和55年に斜面で割れ目噴火が発生してからは噴火がない状態が続いていました。
しかし平成26年8月3日、34年ぶりに噴火が発生。噴火警戒レベルが1から3に引き上げられて、住民のおよそ半分が一時、屋久島に避難しました。
そして翌平成27年5月29日。
午前9時59分に爆発的噴火が発生。噴煙は火口から9000メートル以上の高さまで上がり、火砕流が火口から北西に2キロの向江浜地区の海岸まで達しました。
(貴舩森さん)「(火砕流が)凄まじい渦を巻きながら流れて来るのを、ずっとただ立ち尽くして見ているしかなかった。飲まれてしまう、間に合わなかったと思った。」
噴火警戒レベルは、平成19年に運用が始まってから国内で初めて最高の5「避難」に引き上げられ、屋久島町は噴火のおよそ20分後に島内全域に避難指示を出しました。
このとき、屋久島町の荒木耕治町長の頭には、国内の火山災害では戦後最悪となる死者・行方不明者63人を出した前の年の御嶽山の噴火があったといいます。
(荒木耕治町長)「あそこはレベル1で噴火をした。ちょっと今までと違うような活動しているのではという思いもあった。いろんな最悪の状況を考えたときに、ここはいっぺん出すべきだという判断を、私自身が決断をした」
一方、住民たちは自主的に島内の避難所に避難するなどし、結局、火砕流で1人がけがをしたものの、噴火による死者はなく、島にいた137人全員が夕方までに島の外に避難しました。
この時の避難には、前年8月に発生した34年ぶりの噴火の経験が役立ったと、現在、本村地区の区長を務める貴舩森さんは振り返ります。
(貴舩森区長)「(前年の)8月3日に噴火をしていますけども、その際に、34年ぶり、初めて経験する方もいたり、本当に久しぶりでしたから、避難がうまくいったとはいえなかった。でも過去を思い出して、何を改善すべきなのか、すぐにそういう動きをして、5月の噴火があった、そこがずいぶん生かされたと思う。」
住民たちは避難先の屋久島の仮設住宅などで先が見えない避難生活を送ることになりました。
そして避難開始からおよそ7か月が経った12月25日。
(無線)「午前10時をもって解除しましたのでお知らせします」
一部の区域を除いて避難指示が解除され、住民たちが島に戻り始めました。
しかし、口永良部島の新岳は去年10月以降、噴火を繰り返すなど、今も活発な活動が続いていて、噴火警戒レベル3の入山規制が継続しています。
一連の噴火以降、島を離れた住民もいて、人口は先月末時点で107人と、平成26年の噴火前と比べて30人ほど減少。島での暮らしは噴火以前と変わった面もあります。
しかし、一連の経験は島で暮らすことの意味や火山との向き合い方について、改めて考え直すきっかけになったいいます。
(貴舩森区長)「火山島である、そこで暮らしていくということとずいぶん向き合ったと思う。危険ではある、たしかに大きな噴火があると大変ではありますけど、自分がその自然の中の一部であって生かされているという、すごく自分を実感して暮らせる場所である。ある意味自分たちをしっかり自覚できるいい場所でもあるわけです。」
平成の間に高まった口永良部島の火山活動。その経験をどう伝え、今後の防災につなげていくのか。本村地区の区長として島で活動する貴舩さんは、平成の次の時代の課題だと考えています。
(貴舩森区長)「しっかり記録としても残していくこと、子どもたちですね、とにかく、島内の子どもたちに限らず、島外から来る若者にもこの島の過去の出来事を、この平成の出来事も含めてしっかりと伝えていって、残していければと思う」