「組織率」低下続く 岐路に立つ労働運動

きょうは、戦後の政治に大きく関わってきた労働組合を取り上げます。
働いている人のうち、労働組合に入っている人の割合を表す「組織率」を示したものですが、平成に入って大きく低下しています。

平成の時代、労働組合とそれを取り巻く環境はどう変わったのでしょうか。


戦後、働く者の地位向上が強く叫ばれるにつれて、鹿児島県内でも労働運動が盛んになりました。
その中心的な存在となった県総評=県労働組合総評議会は、賃金のアップや労働時間の短縮などを求めて経営者側と真っ向から対立。春闘では毎年、ストライキを繰り返しながら「昔、陸軍、今、総評」と呼ばれるほどの大きな力を発揮しました。

そして、革新勢力を代表する社会党の支援組織として護憲や反戦・平和、反公害運動など幅広い政治運動を展開し、鹿児島でも県総評出身の地方議員や国会議員が次々に誕生しました。

時代が平成に入ると、労働運動は大きな節目を迎えました。

平成元年。社会党系の総評と民社党系の同盟などが合併して「連合」が結成され、共産党系などを除く労働戦線の統一が実現したのです。

(連合鹿児島元事務局長 冨永勝彦さん)「それぞれ分散をしていては力も発揮できないし、きちっと一本にまとめて力を結集して、今後に労働運動、社会的な運動に参画をしていくということだったんだろうと思います」


しかし、平成3年にバブル経済が崩壊すると、日本経済は「失われた20年」と呼ばれる長い低迷の時代に入りました。
業績が悪化した企業の倒産が相次ぐ中、企業の人員整理や生産拠点の海外移転なども進み、失業や就職難も深刻な社会問題となりました。
さらに、規制緩和を背景にした非正規社員の増加もあり、労働組合の組織率は低下していきました。

(志学館大学法学部長 畑井清隆教授)「規制緩和によって派遣労働が増えるというのと、いちばん多いのはパートタイム労働とか有期雇用労働というのが増えてくるわけですね。正社員の数が減ってきて、団体交渉における交渉力が弱くなってくるというのがある。そういういろんな要因によって、労働組合の活動が非常に停滞あるいは衰退してきている状況と言えるかと思います」

平成の時代、労働組合運動は政治の面でも試練にさらされました。
平成5年に社会党や日本新党など野党の7党1会派による細川連立政権が成立しましたが、社会党は翌年、連立を離脱し、自民党との連立政権に参加しました。
しかし安保条約肯定など従来の党路線の変更は党の求心力を大きく低下させ、支援組織の連合でも足並みの乱れが目立つようになりました。

平成21年の民主党による政権交代の際にも連合は民主党を支援し、与党の側に立つことになりましたが、厳しい経済情勢が続く中で労働条件の改善は進まず、平成24年には自民党が政権を奪還しました。

(畑井教授)「90年代の後半からは日本経済がデフレの状況になるということで、労働条件を向上させることが非常に難しくなってきた状況で、労働者寄りの政党も、労働者を保護するような新しい法律をなかなか制定することができなかったというところですね」


様々な社会運動を支えてきた労働組合の力が低下していった平成の時代。
一方で新しいスタイルの政治参加が話題となりました。

シールズ安全保障関連法や憲法改正に反対する運動を続けた学生団体SEALDs。国会前や各地で集会を開き、安倍政権批判を展開。若い世代の共感を呼びました。
その中心メンバーの1人が、当時、筑波大学大学院生だった鹿屋市出身の諏訪原健さん(25)です。

(諏訪原さん)「かつてだったら、いろんな所属の組織があって、その中のネットワークがあって、そこに紙配ったらみんな配ってくれる、そして運動もできるという状況だったと思うんですけど、今は本当に社会に当たり前がなくなって個人がそれぞれバラバラになって、社会っていう言葉すらイメージしにくい人がたくさんいるような、そういう状況だと思うんですよね。自分でできることとしてまず声をあげるということをやりたい、そういうふうにして取り組んできました」

諏訪原さんは、組織の力が低下する時代だからこそ、インターネットなどを駆使して個人同士がつながり、声を上げていく活動が大切になると考えています。

(諏訪原さん)「僕みたいにごく普通の『市民』と呼ばれる人たちが、なにか政治に関わるということが生活の中に当たり前にある、そういう生き方というのが今できるようになってきてるのかなと。僕自身は少なくともそういう形で関わり続けられたらいいかなと思っています」


一方、労働組合の側も組織の再構築など、新たな対応を迫られています。

(畑井教授)「正社員中心ではなく、そこにパートタイム労働者、あるいは有期雇用労働者、派遣労働者を加えて組織化していって、もう一度労働者は連帯感を高めていくことが必要になると思う」

組織率の低下が続く労働組合ですが、今後、労働人口の減少や子育て・介護などとの両立といった働き方の多様化が見込まれる中で、どう労働者の多様な声を取り込み、社会的な課題の解決につなげていくのか、これからの大きな課題です。


平成においては労働組合に限らず、町内会や農協などかつて個人と社会をつなげてきた様々な組織・団体で組織率が低下しました。
こうしたことが社会・政治に対する疎外感や不信感を高め、時に社会の分断や感情的な対立をあおるポピュリズム的な風潮につながっていると指摘する声もあります。
新しい時代を迎えようとしている今、この社会と私達がどうつながっていくのか、そのつながり方について考えてみることは大切なのではないでしょうか?