農家減少“米どころ”伊佐市では

減少に歯止めがかからない農家についてです。
鹿児島県の農家数の推移です。

減少傾向が続いていて、平成27年はおよそ6万4000戸。平成2年の半分以下になりました。

鹿児島の農家にとって平成とはどんな時代なのか、稲作農家を取材しました。


県内有数の米どころ・伊佐市で先月下旬、周りよりも早く田植えの準備を始める農家がいました。

沖田芳博さん(44)。
農家に生まれた沖田さんは、平成6年に20歳でコメをつくり始め、25年になります。沖田さんのところには、10年ほど前から後継者がいない農家から田んぼを引き受けてほしいという相談が相次いでいます。
いま、沖田さんが抱える田んぼは、依頼された40戸分を含め、30ヘクタール。東京ドームおよそ6個分になります。

(沖田芳博さん)「伊佐市も高齢化になって、なかなか年をとって体が動かなくて田んぼをつくっていけない、維持していけないという方が多くて、結構いっぱい頼まれる」


伊佐市の農家の数は昭和60年に5470戸でしたが、平成27年は2486戸。
30年で半分以下に減りました。

コメの供給過剰による価格下落を防ぐため国が1970年・昭和45年度から本格的に始めた減反政策は平成に入っても続きました。
1993年・平成5年には、国際貿易交渉=GATT、ウルグアイラウンドでコメの輸入が一部自由化。

国の政策や国際経済に翻弄されて先が見通せず、農業そのものをやめる農家も増えました。
農家の高齢化も進み、伊佐市では、農家の人口に占める70歳以上の割合は平成7年は17%あまりでしたが、平成27年には34%あまりと、平成の20年間で倍になりました。

高齢化でやめる農家は増える一方、新しく農業に就く若手が少ないのが現状です。

「いまコメの価格もそんなに高くないので、なかなか利益が出ない、ほかの仕事に就いたり、よそに出て行ったりで、コメづくりを断念していくのでは」


伊佐市大口曽木の漆野幸夫さん(85)は、ことしの作付けを最後におよそ50年続けてきたコメ農家をやめる予定です。

高齢で、体力に限界を感じていることが主な理由です。
漆野さんには3人の娘がいますが、コメづくりを継ぐ人はいません。

(漆野幸夫さん)「さびしい感じがする、もう年老いているので、これ以上は出来ないと思います、これが私の心境です」
(妻・ユキさん)「コメができたりすると喜びがあって、体が元気になるから、頑張れというのですが…」


漆野さんが暮らす諏訪集落です。
48戸のうち、農家は15戸ほどで、20年前のおよそ3分の1に減りました。

(諏訪自治会 宇都栄一会長)「昔の家族総ぐるみで稲作をやっていたという雰囲気はもうない、先祖から引き継いだ田んぼがあるからつくっているというようなかたちで、昔みたいにコメをつくって出荷して、現金を得て生活に充てるというような人はほとんどいないのでは、もう自分たちが、家族が食べる分だけ(つくる)」


この日、沖田さんは漆野さん宅に向かいました。
漆野さんから、農家をやめた後の田んぼについて相談を受けました。

(沖田芳博さん)「僕も手一杯だが、ことしから引き継いでつくっていこうと思う」


伊佐市の原風景を作ってきた田園が、耕作放棄地になるのを防ぐため、奮闘する沖田さん。
そんな沖田さんにショッキングな知らせが届いたのは今月2日でした。

えびの高原・硫黄山の噴火の影響で川内川が白く濁り、伊佐市は、川内川の水を引く水田でことしの水稲栽培中止を決定。
沖田さんも、30ヘクタールの半分が中止の対象になりました。損失額は2400万円に上るといいます。

国や市は水稲栽培中止の対策として、飼料作物などへの転作を勧めていますが、沖田さんは今回の問題をきっかけに農家をやめる人が増えるのではと心配しています。

(沖田芳博さん)「今回、飼料作物に転作という話だが、高齢の人とか、機械が小さかったりとか。そういう人たちがここでやめずに僕らが何とか持っている機械で手伝いが出来たりとか、応援が出来たりすれば。私たちも出来る応援を頑張りたい」


沖田さんは地域の稲作を盛り上げようと、3年前に中堅のコメ農家仲間と生産グループ「和」を立ち上げました。
肥料のやり方を工夫し育てた伊佐米を、「和米」のブランドで今後、本格的に販売していく考えです。

「同じコメをつくっても、いい品物をつくって高く売れれば、それがやっぱり耕作放棄地の歯止めをかけるということに必ずなると思う」


沖田さん自身にとって「平成」は、コメづくりにがむしゃらになった時代ですが、農家の衰退を肌で感じる時代でもありました。
「とりあえず必死に農業をやってきたという感じ。一番何より25年前は、もっと田んぼに出ていた人は若かったなというイメージ。僕らも年をとっていくので、20年後、30年後、40年後となったときに、果たして僕らの跡を引き継いで米づくりをやってくれる人がたくさんいるのか不安」

農家の減少が続いた平成。
少子高齢化が進む中、次の担い手をどう確保していくのか。農家の模索が続きます。