「奇跡のバックホーム」横田慎太郎さん(28)死去「自分に負けずに戦った」余命宣告から2か月(2023年7月19日放送)
鹿児島実業高校出身で阪神タイガースでプレーした横田慎太郎さんが18日、脳腫瘍のため亡くなりました。28歳の若さでした。最後まで諦めない姿勢を見せ、野球と向き合った横田さんを振り返ります。
横田慎太郎さんは、1995年日置市生まれ。プロ野球選手だった父・真之さんに憧れソフトボールを経て野球に。
強豪・鹿児島実業に進学すると1年生から4番を任され、投打に活躍しました。甲子園出場は果たせなかったものの、2013年に阪神から2位指名。夢のプロ入りを果たしました。
「1年目で1軍で早く活躍して、高校時代に行けなかった甲子園で活躍するのが一番の目標」
プロとして努力を重ね、1軍定着が見えてきた2017年の春、脳腫瘍が見つかりました。チームを離れ、治療を続け復帰を目指しましたが、ボールが2重に見えるなど目に影響が残り、2019年に引退を決断。
引退試合では1096日ぶりにセンターの守備位置に就きました。試合終盤には一打逆転のピンチ。ボールがきちんと見えないはずの横田さんの方向に打球が・・・。
「いつもみたいにボールが見えにくくて…自分一人の力じゃないような気がしました。目標から逃げずに、自分を信じて自分に負けずに戦って来てよかったなと思いました」
『奇跡のバックホーム』。野球に向き合い続けた横田さんだからこそ生まれたビッグプレーでした。
「諦めずに前を向いて少しずつやっていけば、最後は必ず幸せな瞬間は起きるので、1人でも多くの人の力になりたいと思いながら、頑張って日々生活している」
引退後は講演などを続けて来ましたが、2度目の脳腫瘍再発が分かり3月から闘病を続けていました。
今年5月には余命を宣告されましたが、家族のサポートに包まれ何度も山場を乗り越えてきました。最近も、高校野球県大会での母校・鹿実の試合や校歌斉唱の映像を、じっと目を開いて見入っていたそうです。
(鹿児島実業野球部 宮下正一監督)「(今年5月に)あと10日、2週間くらいでだめかという話は聞いていたが、あれから2か月よく頑張った。最後の最後まで、生きることに対して純粋に貪欲に頑張ってくれた。野球人としても人間としても鹿実の誇り。慎太郎のことを私が監督である限り語り継いでいく」
横田さんは、18日午前5時42分、病院で家族が見守るなか眠るように息を引き取りました。