「息子を返して」獣医師を夢見た大学生の命を奪った飲酒運転

2021年2月、鹿児島市の国道10号で20歳の大学生が、飲酒運転の車にはねられ死亡しました。鹿児島大学馬術部に所属していた男子学生は、日課となっていた馬の世話をするため、大学に向かう途中で事故に遭いました。
事件や裁判の経緯、遺族の想いを取材しました。


2月、鹿児島市の国道で、青信号で横断歩道を自転車で渡っていた20歳の大学生が、飲酒運転の車にはねられ死亡した。8時間あまり飲酒して大学生をはねた26歳の男に言い渡された判決は懲役9年。大学生の両親は「息子の命は被告の9年分なのか。虚しすぎる」と訴える。

【この事件は…】

2月9日午前5時50分ごろ、鹿児島市の国道10号で鹿児島大学共同獣医学部1年の宮崎大喜さん(当時20)が、飲酒運転の軽乗用車にはねられて死亡した。軽乗用車を運転していたのは、姶良市の建設作業員・八木優斗被告(26)。

危険運転致死と酒気帯び運転、ひき逃げの容疑で逮捕されたが、鹿児島地検は危険運転致死と酒気帯び運転で八木被告を起訴。ひき逃げは不起訴とした。鹿児島地裁での裁判員裁判は10月19日に始まった。
「なぜひき逃げでは起訴されなかったのか」「なぜ息子は殺されなければならなかったのか」宮崎さんの両親は、いくつもの疑問を抱え法廷に臨んだ。

【「念願の獣医学部に入学しました」】

亡くなった宮崎さんは獣医を夢見て、その一歩を踏み出したばかりだった。所属していた馬術部のブログにはこう書かれている。

「僕は福岡県出身で動物が好きで獣医になろうと志しましたが学力が足りず、1年間浪人生として勉強した後、念願の獣医学部に入学しました。馬術部の活動量に少し大変さも感じていますが、それ以上に馬に乗る楽しさ、馬の世話をする喜びなどを得ることができて、充実した日々を過ごすことができています。」

ひた向きで何事にも一生懸命。部の先輩は「誰かに言われるわけでもなく掃除をしたり、気付いたら部室を片づけてくれたりとか、気を配っていた」「うまくなろうと必死に馬に乗って、毎日一生懸命、毎日楽しく馬術をしていた」と話す。

「馬専門の獣医師になりたい」と夢を語っていた宮崎さん。毎日朝早くから大学で部の馬の世話をしていて、この日もいつもどおり朝早く下宿先を出て、自転車で大学に向かった。

【2月9日午前5時50分。“その瞬間”まで】

裁判では、八木被告の事件前の行動が明らかになっている。事件前夜、姶良市の自宅近くのスナックでビール1杯、焼酎5杯を飲み、日付が変わった2月9日午前0時30分に店を出た。店が用意した運転代行で自宅に戻る。金を持った被告は自らハンドルを握り、およそ18キロの道のりを運転して、鹿児島市の繁華街・天文館のバーに向かった。途中、信号無視2回、速度オーバーを繰り返した。「寂しかったから」飲酒運転で18キロも離れたバーに向かった理由をそう語っている。八木被告の心の隙間を埋めるものがその店にあったのか。

バーで飲んだのは焼酎3杯とテキーラ複数杯。時間を忘れ他の客と楽しんだ。「閉店です」の声で店を出たのは午前5時30分。この日は隣の宮崎県で仕事があり、早朝に地元の姶良市で同僚と待ち合わせをしていた。「遅刻してはいけない」八木被告は再び自らハンドルを握り、片側2車線の国道を自宅に向かってアクセルを踏み込んだ。

午前5時49分、まだ日は昇っていない。事故現場となる交差点100m手前の予告灯は赤く光っていた。だが、八木被告は時速70キロから93キロに加速して交差点に進入。
横断歩道を自転車で渡っていた宮崎さんをはねた。

【19分間、車内に】

衝突で変形した自転車は交差点から約50m飛ばされ、大喜さんはさらに約100m先の路上に仰向けに倒れていた。八木被告の車は現場から150m先で信号待ちをしていた自動車に追突して止まった。

八木被告は自ら警察に通報したものの、警察が臨場するまでの19分間、車内にとどまり宮崎さんを救護しなかった。その間、自らの母親に電話したり、ドライブレコーダーを取り外したりしている。裁判では、宮崎さんに衝突したあとのことは「動揺してはっきり憶えていない」と話すだけで、合理的な説明を一切しなかった。

宮崎さんは救急車で病院に運ばれたが、頭をはじめ全身を強く打っていて、およそ1時間後に死亡した。

【20年間大切に育ててきた命が一瞬で】

宮崎さんの両親は、裁判前にJNNへ手記を寄せてくれた。そこには幼い頃からの宮崎さんの姿がつづられていた。

「大喜は穏やかな性格です。本が好きで、幼少期のころは毎日遅くまで絵本を読むようせがまれ、困ったこともしばしばありました」

「獣医師を⽬指すようになったのは10年ほど前に⽝を飼い始めたことがきっかけです。⼀番⾯倒を⾒て、⼀番散歩に連れて⾏ってくれたのは⼤喜でした。⽝も⼤喜になついてついて回り、寝る時もいつも⼤喜の⾜元で寝ていたのを覚えています。」

動物が好きで獣医を夢見て獣医学部を目標に。浪人中も毎日遅くまで勉強する背中に、両親は頼もしさを感じていた。そして去年4月、鹿大獣医学部に合格。入学手続きを兼ねて家族と愛犬で鹿児島に行き、温泉やキャンプを楽しんだのが最後の家族旅行になった。

「20年間大切に育ててきた大喜の命が一瞬で奪われてしまい、言葉で言い表すことの出来ない深い悲しみと苦しみの日々を送っています」「真実が明らかになることを期待し、私たち遺族の思いや事故の重大さに即した判決が下されることを望んでいます」。

【遺族に一礼することなく】

たくさんの愛情を注ぎ、20年間大切に育ててきた愛する息子を奪った男を前に、被害者参加制度を使って裁判に参加した。理由は「事故現場で何が起きたのかを知り、事件に正面から向き合いたい」との強い思いからだった。

法律の上限にあたる懲役23年を求めたが、検察の求刑は10年。そして、10月28日、八木被告に下された刑は懲役9年だった。

白いシャツに黒いスーツ、黒縁のメガネをかけやせた八木被告は、判決が言い渡されたあと、遺族に一礼することなく法廷を後にした。「反省している」そう法廷で謝罪した被告は、犯した罪の大きさをどこまで理解しているのか。

【息子の命が被告の9年分かと…】

判決の翌日、10月29日。両親に直接会う機会をもらった。

「大喜を見送った時と同じぐらい疲れた」と話す両親は、裁判を振り返り、「証人尋問や意見陳述で自分たちの想いを伝えることができよかった」と話す一方、望んでいた真実は半分も明らかにならなかったと悔しさをにじませた。

衝突した後、八木被告はなぜブレーキではなくアクセルを踏んだのか。そして、なぜ助けようとせず19分間、車の中にとどまったのか。本当のことが語られることはなかったと声を詰まらせた。

懲役9年の判決については、「短すぎる。息子の命が被告の9年分かと思うとむなしさだけが残り、飲酒運転の抑止にならない」「懲役23年だったら納得できたかというとそうではない。ただ、息子を返して欲しい」と言い切った。

【最後の望み】

事件では当初、警察は「ひき逃げ」でも送検していたが、検察は不起訴処分とした。両親が7月に検察審査会に申し立て、「起訴相当」と議決されている。検察は再捜査し、1月までに起訴するかどうかを判断する。両親は「絶対に起訴して欲しい。今回の裁判で明らかになっていない真実を明らかにする最後の望み」と話した。「事故で何があり、なぜ息子は死ななければならなかったのか。真実を知らない限り、前に進めない」。

言葉の強さとは裏腹に、父親の声は小さかった。