慶応4年3月27日 寺島宗則 横浜駐在命じられる
きょうは慶応4(1868)年3月27日です。薩摩藩士で、新政府の外国事務局判事となった寺島宗則は、横浜駐在を命じられました。
寺島宗則は、阿久根の脇本出身です。旧幕府の遣欧使節団や、薩摩藩英国留学生を経験し、国際経験が豊富です。
寺島が駐在を命じられた横浜は、9年前の安政6年(1859)にアメリカに開港されて以降、欧米各国に開かれ、国内外から多くの人々が集まっています。新政府は、横浜に欧米事情に通じた寺島を駐在させ、外国との交渉や、情報収集にあたらせる方針です。
一方、東北では会津追討に向け準備が進められています。
新政府の奥羽鎮撫総督府は、仙台藩に会津追討を迫り、仙台藩は、藩兵1,000人余りを会津との藩境に送っています。
しかし、派兵は形式的なもので、奥羽鎮撫総督府参謀で長州の世良修蔵は、仙台藩の姿勢を追及する構えです。
会津藩では、前藩主・松平容保が仙台藩・米沢藩の使節に新政府との和平の仲立ちを懇願しましたが、実現は困難が予想されます。