慶応4年2月9日 慶喜討伐軍の人事発令
きょうは慶応4(1868)年2月9日です。新政府はきょう、慶喜討伐軍の人事を発令しました。
東征軍は、東海道、東山道、北陸道の3つに分かれていて、江戸の慶喜征伐と東国諸藩の征圧のため、近日中に進軍を始めると見られます。
一方、新政府の初めての外交問題になっていた「神戸事件」に動きがありました。
神戸事件は、先月、岡山藩兵がイギリス・アメリカ・フランスの公使館守備兵と銃撃戦を起こしたものです。
各国は一時神戸中心部を占拠し、処理を誤れば再び神戸が占拠されるおそれがありました。新政府の東久世通禧や寺島宗則らが、事件関係者の処刑を求める各国と交渉にあたりましたが要求は退けられず、結局、岡山藩が銃撃戦のきっかけを作った責任者、滝善三郎に切腹を命じることで決着しました。
切腹は、各国の外交官立会いの下、今夜行われますが、滝の死によって、新政府の外交危機は回避される見通しです。