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西郷・大久保 去る

去年4月に始まった幕末ニュースから、1年9か月続けたタイムスリップもきょうで最後。幕末維新ニュースです。


明治10年に西郷隆盛、明治11年に大久保利通、新しい時代への道を切り開いた2人が続けて世を去りました。

9月1日から城山にこもった西郷軍およそ350人に対し、政府軍はその200倍、7万人の兵で城山を包囲します。

陸軍の指揮は西郷と徴兵制を整備した山縣有朋、海軍の指揮は西郷のいとこ川村純義でした。圧倒的な兵力差を前に西郷軍は23日には40人余りとなります。

一方政府軍は24日に総攻撃を決定。
その前夜、政府軍の音楽隊は西郷たちがいる城山に向かい惜別の曲を演奏しました。

24日午前4時、政府軍は総攻撃を開始。午前7時ごろ、西郷は桐野利秋、別府晋介、村田新八ら40人余りと政府軍に向かっていきましたが腹と足に銃弾を受けます。

「晋どん、もうここいらでよかろう」
西郷は、別府晋介に介錯を頼み、切腹したということです。49歳でした。桐野は戦死、別府、村田は自決し、西南戦争は終結しました。

7か月にわたる戦闘で、西郷軍の死者はおよそ6800人、政府軍の死者はおよそ6400人でした。


西南戦争の鎮圧で不平士族の反乱は起きなくなり、大久保は独裁とも批判された実行力で国の近代化を進めます。

しかし、明治11年5月14日。大久保は馬車に乗って赤坂の仮皇居に向かう途中、紀尾井坂で石川県の士族ら6人に襲撃され、命を落としました。

関係者によりますと、暗殺された際、大久保は西郷から昔もらった手紙を2通持っていて、うち1通は、ひげと洋服姿で写った写真を西郷がからかったものだったということです。


鹿児島の先人たちが駆け抜けた明治維新とは何だったのか?歴史家の加来耕三さんは、欧米列強による植民地化を防ぐため、国をひとつにすることだったと言います。

「国家というものを作らない限り欧米列強の植民地化から逃れられないというのが薩摩の島津斉彬、あるいは西郷が抱いた明治維新への理想だった。その道をひたすら最短距離で西郷が走り、明治を迎えることになる。」


265年間続いた幕藩体制を終わらせた明治維新。振り返ると、1853年の黒船来航から1869年の函館戦争終結まで16年ほどしかありません。

この激動の時代を駆け抜けた先人たちは、結果が分かって動いてわけではなく、迷いと決断の1日1日を積み重ねていました。
幕末維新ニュースはその1日1日を追いかけてきました。

「昨日は過去、現在は現実、明日は未知の世界。我々は多くある選択肢の中から1つを選んで明日に向かっていくが、歴史だけはどうしても結論から入ってしまう。
例えば明治維新成功したじゃないかと言うのは結果を知ってる人間の言う事。どうなるか分からない明日を見てるそのときの西郷や大久保の立場からすると、それは言えない。
慎重なまでに慎重にあらゆるケースを考えて彼らは手を打っていったはず。そういうのがカレンダーで1日ごとに追いかけていくとすごく分かりやすかった。私自身勉強になった」

幕末の慶応から明治、大正、昭和、平成の150年。過ぎ去った1日1日に思いをはせながら私たちは次の時代を迎えます。
以上、幕末維新ニュースでした。