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明治2年~明治4年の動き

今年の明治維新150年に合わせてお送りしてきた幕末維新ニュースは、今週で最終回を迎えます。
今週は、明治2年以降を駆け足でタイムスリップしてお伝えします。


きょうは箱館戦争や廃藩置県など、明治2年から明治4年までの動きです。

明治2年。蝦夷では4月から5月にかけて黒田清隆らが率いる政府軍およそ1万と榎本武揚・土方歳三ら旧幕府軍4千による戦闘が始まりました。

5月11日には箱館の総攻撃が開始され、土方は銃で狙撃され戦死。34歳でした。
14日、黒田は、五稜郭にこもる榎本に降伏を呼びかけますが、榎本は「徳川家による蝦夷地開拓が認められない限り、降伏しない」と返答。その上で、オランダで手に入れた国際法の本「万国海律全書」を「戦火で焼けるのは国の損失だ」として黒田に届けました。黒田は礼として酒5樽を五稜郭へ贈り、総攻撃開始を通知。

旧幕府軍は降伏に方針を転換し、18日には五稜郭を開城。
新政府と旧幕府軍の戦争は終結しました。

1年半に及んだ戊辰戦争での死者は東北諸藩を含めた旧幕府側が8700人、新政府側は5000人で、うち薩摩藩兵は500人でした。

薩摩では、この時期、西郷隆盛が各地の温泉で過ごす一方、戦士した兵の慰霊もしています。

伊集院の本田親正(26)・親直(22)兄弟は北越戦争で亡くなりました。「お前達が死んだら墓を建ててやる」と言っていた西郷は明治2年8月、約束を守り、自ら筆をとって碑文を書いて、墓石に彫らせたということです。

明治3年。大久保や木戸ら政府首脳は、廃藩置県の実行に向けて動き始めます。
歴史家の加来耕三さんは、廃藩置県こそが明治維新の節目だと言います。

「慶応4年の旧暦の9月で明治となった、ここをもって明治維新だと思い込んでいる方が多いが、実際の明治維新というのはその後の版籍奉還から始まって、更に廃藩置県に至るところ、ここで一度完結する。中央集権化を目指すというのが明治維新のそもそものスローガンだったからそこまでいかないと実は明治維新にならない。」

廃藩置県に反発する諸藩との武力衝突を視野に、大久保は西郷を東京へ呼び戻します。
明治4年2月、西郷は、薩摩・長州・土佐の兵8千を東京に集め、政府直属の御親兵を発足させました。そして7月、廃藩置県の詔勅によって、全ての藩は廃止され、明治政府による統一国家が誕生しました。目立った反発はありませんでした。

大改革を終えた政府は、11月旧幕府が欧米と結んだ不平等条約改正の予備交渉のため、岩倉、大久保、木戸らの首脳がアメリカに出発。留守の間、政府運営は西郷に委ねられました。