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慶応4年8月10日 島津忠義に上洛の通達

京都の朝廷から薩摩藩の京都藩邸に対して、藩主・島津忠義は至急、上洛すべしとの通達が下されました。

先日、奥羽越列藩同盟の討伐を命じられたばかりなのに、今度は上洛を命じられた忠義。

このように二転三転する背景には、明治天皇、ひいては朝廷からの薩摩藩に対する信頼がある一方で、藩主を直接、新政府の国政にかかわらせたくない大久保利通ら首脳との、見解の相違があります。新政府は頂点に天皇、そのもとに公家がいますが、一方で、天皇を形式上の元首としながら、実際の国政を運営している新政府の首脳陣がいます。

このような体制の中、大久保が提出した大坂遷都の案、あるいは東京と京都の両方を都とする〝東西両都案〟について、保守的な公家を中心に難色が示されるなど一枚岩ではない新政府。それは、次々と変わる忠義への指示にも表れています。