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移住で新しい風を 課題と可能性

きょうは、Uターン・Iターンなど、「移住」がテーマです。
日本が人口減少社会に転じた平成の時代。
鹿児島県の人口も平成2年に179万人余りだったのが平成27年には164万人と、15万人減少しました。
そんな中、今、地域にとって大きな支えとなっているのが移住してきた人たちです。

県内の市町村では移住者を呼び込む動きを進めていて、統計を取り始めた平成24年度(2012年度)以降、県内への移住者は年々増加。昨年度は996人と、これまでで最高となりました。
きょうは、移住者を呼び込んで地域に新しい風を吹き込もうと奮闘するある町の取り組みから、移住をめぐる課題や可能性について考えます。


今月2日。力強い掛け声とともに始まったのは、「移住ドラフト会議」の記者発表。
鹿児島・宮崎に移住を希望する人を「選手」、移住者を呼び込みたい地域を「球団」に見立てて結びつけるイベントで、おととしから始まりました。

12の市と町の代表が意気込みを語る中、他に負けじと熱いメッセージを送るチームがありました。
(日置市・美山地区吉村佑太さん)「焼き物以外の風も吹き込みつつ、伝統を継承していけるような人たちを取りに行きたいと思っています!」

日置市の美山地区です。


「薩摩焼の里」として知られる日置市東市来町美山。
400年以上前から続く「ものづくり」の伝統を今も受け継ぐ、歴史ある町です。

竹林に囲まれた路地や石垣に囲まれた家など、独特の風情に引き寄せられる人も多く、580人ほどいる住民のうち6割以上は県内外からの移住者です。その特徴は、職人が多いこと。

・ガラス作家(*鹿児島市から移住して13年)
「ここは作り手さんが集まっている街だったので、この地で自分も作ることができたら幸せだろうなと思い、ここに決めました」
・パティシエ(*神戸から移住して14年)
「とにかくものづくりが好きなので、美山を選んだ理由の1つも、やっぱり陶器をつくる、”作る場所”というのにすごく惹かれた」

美山に移り住んだものづくりの人たちによって、今では、窯元だけでなく喫茶店、飲食店など30ほどの店が町に点在。
観光客も増加しています。

一方で高齢化などで人口は、平成に入って90人ほど減りました。


そんな美山地区に移住者を呼び込もうとしているのが、吉村佑太さん(34)です。
いちき串木野市出身で、県内の専門学校を卒業後、21歳で上京。おととし、10年以上勤めた東京の会社を辞め、鹿児島にUターン。
日置市の地域おこし協力隊に採用されました。

(吉村さん)「もともと鹿児島が地元というのもあって、いつか戻ってきたいとずっと思っていました。友人が美山で町おこしの活動をしていたというのもあって。ここで活動してみようというのがきっかけです」


この日、吉村さんを訪ねていたのは、伊藤明子さん(43)。
去年の移住ドラフト会議で、美山地区が指名した女性です。

現在は東京で夫と2人暮らし。
広告代理店に勤務していましたが、鹿児島出身の夫の「故郷へ移住したい」という夢を叶えるために、生まれ育った東京を離れ移住を決意しました。

不安もありましたが、美山に移住者が多いことにも背中を押されました。

(伊藤さん)「実際移住って、簡単なことじゃない、引越しなわけじゃないし、転勤なわけでもないので、本当に覚悟を決めて来るとなるとそれなりに不安も大きいです。でもそれを、(美山には)経験者としてわかってくださっている方たちが6割強いるんだと思うと、それだけでとても頼もしい」


美山への移住の実現に向けこの1年、吉村さんらと調整を進めてきましたが、今、ある問題が生じています。

(伊藤さん)「家がないのはすごく残念。本当に限られた家しかなくて、やっぱりせっかく引っ越してくるので、どういう家がいいかなとか色々思い描くんですけど、選べるほど物件がないですし…。」

美山に住みたくても、あるのは単身者向けのアパート。
空き家も古かったり敷地が広すぎたりして、移住者が取得し、維持するにはコストがかかり過ぎるというのです。

実は、地域おこし協力隊の吉村さんも、家族で住むのに適した物件がなく美山に住めていません。
今は日置市内の別の町から通っています。

(吉村さん)「移住したいという希望は多くいただいているが、提供できる住居が少ない。空き家自体は多いが、貸せる空き家が少ない」

古い空き家が多い一方で住める家は少ない…。美山の課題です。

(美山自治公民館長 桐野潤さん)「それがいちばん頭のいたいところで。(今も)5人ぐらい承っている、若いカップルとか住みたいという方。だけど、家がない、何とかしてくれと…。」

伊藤さんは当初の予定を変更し、日置市内の他の地域で家を探すことも検討しています。

生活の拠点はまだ定まらず不安もありますが、広告代理店での経験を活かしながら地域の一員になりたいと思っています。

(伊藤さん)「ここで出会った美山の方々と一緒に、美山のお仕事も手伝っていきたいというふうに思っていますし、あとは、美山だけじゃなくて、もっと自分が手伝える場所があればっていうふうに。せっかくのご縁を大切にして、鹿児島で自分の居場所をたくさん作っていけたらいいなと思っています」

平成は、総人口が減少する一方で、新しい生き方を求める人たちが地方への移住を選択しはじめた時代でもあります。
しかし、移住者を受け入れる体制は万全とは言えず、模索が続いています。