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慶応4年2月22日 松平容保父子 国許に到着

きょうは慶応4(1868)年2月22日です。先日江戸を出た会津藩の松平容保・喜徳父子が国許に到着しました。

鳥羽・伏見の敗戦後、徳川慶喜に遠ざけられていた松平容保父子は、今月16日に江戸を出て、きょう、わずかな供と国許の会津に到着しました。
容保は会津若松城には入らず、城下に謹慎しているということです。

会津藩士は、京都守護職を務めた容保とともに京都の治安を守り、朝廷に貢献してきたという自負があります。「朝敵」とされたことに嘆きや怒りを持つ藩士も多く、新政府を主導する薩摩・長州への反発が強まっています。

いっぽう新政府は、官僚養成などにあたる高等教育機関を設立する目的で学校掛を設置し、玉松操・平田銕胤ら国学者が掛に就きました。
玉松操は、岩倉具視の側近で、王政復古の宣言の起案や、錦の御旗の製作に関わったとされています。
以上、幕末維新ニュースでした。