2/1(月)は県地区対抗女子駅伝を振り返る▽節分▽知覧飛行場跡地の戦争遺跡めぐり

県地区対抗女子駅伝・ダイジェスト

12地区の女性ランナーが早春の霧島路を舞台にふるさとの襷をつなぐ県地区対抗女子駅伝、熱いレースでした。
レースをたっぷりと振り返りました。

スタート3時間前、駅伝初挑戦のこの2人に意気込みを聞きました!

コロナ禍での女子駅伝、伝える放送技術にも影響が!

移動自粛にともないロードレース専用の中継車や応援スタッフなど例年の体制が組めない緊急事態に、急遽ワゴン車を改装し臨時の中継車を仕立てるなど準備に追われました。

豊平アナ「エース区間の1区日置、木之下さんがんばりました!」
松木アナ「全国大会を走れなかったときは、本当に悔しそうな表情をしていたんですけど、その思いをこのレースにぶつけたんです。選手それぞれに、ドラマ・思いがありまして、それを襷に込める、育ててくれた地区の襷に込めるところにこの女子駅伝の魅力があります。」

木之下沙椰選手「神村勢や他の地区にも強い選手がたくさんいたので、鹿児島で走る最後の大会だったので、日置チームやいろんな方々に感謝の気持ちを持って、最初から区間新を狙っていこうと思って走りました」

豊平アナ「後半戦、鹿児島の小原主将の粘りましたね」
松木アナ「鹿児島チームは5年ぶりの優勝に向けてこの後半戦で前にいることが大切だと田中監督がおっしゃっていたんですが、そのレースを体現してくれました。

さらに前を譲らなかった、後ろから走ってきている日置の鳥居華選手は全国高校駅伝4区で日本一になった選手なんですね、その選手の追撃もかわした、さらにその思いがこの5区を走りました鹿児島高校2年生の坂元葵衣選手につながった鹿児島チーム、ここで優勝を選手たちも確信できたんじゃないのかなと思います。

そして苦しい展開になったのが紫の襷、4連覇を狙っていたのですが、前半出遅れまして、やっぱり襷の位置がどこかというのが駅伝にとって本当に大きいんだなと思いました。
さらにこの駅伝を最後の大会に選んで競技生活を引退する選手がいるなど、本当に選手それぞれの思いがチームの襷に込められて、レースは展開されていくんだなと改めて感じたレースになりました」

立迫美紀選手「1時間9分台と大会新というのを頭に入れて、自分が不調だったけどみんなの力を借りて襷の力で走ることができてよかったです」

最終的な結果をご覧いただきますと、優勝は鹿児島チーム、そしてBクラス優勝は2位に入った日置チーム、さらにCクラス優勝は熊毛チームが8位に入りまして来年はBクラス、ひとつ上のクラスに入ることになったんです。
そして、区間順位をみてみますと優勝した鹿児島チーム、2か所でしか取れていない、ということは襷をつないだからこそとれた優勝ということです。

あさって水曜夜8時からのどーんと鹿児島では総集編を放送します。

 

明日は節分!照国神社に行ってみた

今日から2月。明日は、124年ぶりに「節分」が2月2日となる日です。
コロナ禍ということもあり、節分の行事自体が中止になったり形が変わったりというところも多いんです。そこで実際どうなっているのか、鹿児島市の照国神社を今日、訪ねてみました。

明日の節分祭は、新型コロナウィルス感染予防の観点から、特設舞台を設けず、祭典の中で豆まきがおこなわれるという照国神社。
節分前日の今日、多くの参拝者が訪れていらしゃいました。

参拝がおわると、みなさん社務所へ足を運んでいらっしゃいます。
厄払いや安産祈願など様々な目的でいらっしゃったみなさん。その目的は・・・。

みなさん「御朱印」をもらっていたんですね。何か特別なものなんでしょうか?

「通常の御朱印と、お朔日詣の『思邪無』の御朱印がございます」

通常の御朱印の他に、今日は、二月一日・朔日参りにあわせて、特別な御朱印が頒布されていたんです。
書かれていたのは、島津斉彬の座右の銘「思無邪(しむじゃ)」という文字です。

明日の節分の日には、初詣客の要望が多かった「前進」という文字が書かれもの、そして3日は左右対称で縁起がよいとされる「立春大吉」と書かれている御朱印が頒布されるということです。

照国神社権禰宜・福ケ迫元さん
「朝早くから大勢の方にお参りをしていただきました。これから、毎月1日は特別な御朱印をお出しする予定でございます。できましたら時間に余裕をもって十分な数をご用意していますのでお参りをしていただければと思います。
明日も節分に合わせて大勢の方がお参りをされることが予想されます。明日も特別御朱印を出すんですけど、十分な数ご用意していますので感染症対策を十分にとっていただきまして、ゆっくりと時間に余裕をもってお参りをしていただきたいと思います。ご協力をお願いいたします」

明日の節分祭は、規模を縮小して開催する照国神社。
3日間の特別御朱印の頒布は、このムードの中で少しでも何かできたら、という思いをもって取り組んでいました。

御朱印を受けられた方は、このような島津斉彬の薩摩藩11代藩主就任170年を記念した「特製しおり」もくばられています。参拝される方は、コロナ対策をしっかりとしてお参りください。

特別御朱印の受付は、午前9時から夕方4時半まで。明日は、夕方6時まで照国神社社務所で行っています。

場所:照国神社社務所
受付時間:9:00~16:30(2日のみ18:00まで)
初穂料:500円
お問合せ:099-222-1820

 

なんさつONLINE

ちゃんサネさんにお越しいただきました。
今回は、知覧飛行場跡地の戦争遺跡をめぐったそうです。

知覧の特攻観音は後ろの方です。県道27号線を歩いてきますと、戦闘機が飛び立っていった出発の地点に参ります。石碑がありますのでご紹介しましょう。

この場所が特攻機の発信の場所。スタート地点です。
当時の滑走路=滑走対と申しましたが、そのメインの滑走路が斜め方向に伸びていました。
この滑走対の脇で一旦待機していて、指令があるとこの位置まで戦闘機はでてきます。
そして、待機してエンジンを全開にして、指揮所からの指令を待ちます。
飛び立ての命令がでると、そのまま戦闘機は離陸して沖縄の海へ飛び立って行きました。


先ほどの戦闘機の出発地点から1.5キロぐらい離れた場所です。このあたりに、戦闘機に指令をだす指揮所がありました。

特攻機の出発地点から1.5キロ離れた場所にある「戦闘指揮所跡」。
その近くには、「なでしこ隊見送りの地」などの石碑がたてられています。
ここで、沖縄まで至った戦闘機の消息が受信されていました。


現在、特攻観音の隣にあります三角兵舎がかつてあった場所。そこが、ここの上です。

「三角兵舎」は、特攻隊員達が出撃までの数日間を過ごしたところ。
復元されたものが、特攻平和公園隣にあります。


こちらが、戦闘機を敵機から目撃されないようにつくった「掩体壕」です。

まわりには、こういう風に堤がありますが、上にも木の枝や自然物で覆って戦闘機を見えないようにして保っていた。掩体壕の「掩」という字は、覆って隠すという意味です。

この掩体壕の後方には、5か所の穴があります。それは、直径がおよそ80~100cm、深さおよそ100~120cmの人が入るための穴です。

敵機の空襲時に、整備兵が身を隠すための「掩壕(えんごう)」。
通称:タコツボというらしいです。この穴の中に入って枝葉で覆って身を隠した。


知覧飛行場の滑走帯や知覧の平野が一望できる「猿山」の上にやってまいりました。

この頂きには、敵機が空襲で激しくなってきたころ、少しでも応戦しようということで山砲が掲げられ、設置されて応戦したという記録があります。

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