阪神・淡路大震災から25年 遺族・専門家が語る備え

1995年1月17日未明に起きた阪神・淡路大震災。マグニチュード7.3最大震度7。直接死5502人。関連死を含めると6400人余りに上りました。

神戸市。先週遺族をたずねました。平植勝さん80歳です。両親が沖永良部島・知名町出身。震災で妹を亡くしました。あの日2階建ての自宅の1階で寝ていた和子さん。激しい揺れに見舞われ、崩落した壁の下敷きになりました。

和子さんには2人の子どもがいました。長女で当時15歳・中学3年生だった幕内淑子さんです。受験生だった幕内さん。前の日のよる、友達と勉強するとうそをついて、和子さんが作った夕ご飯を食べませんでした。母が死んだのは私のせいではないか?自分自身を責めつづけてきました。

未曾有の犠牲者に専門家も言葉を失いました。

(河田惠昭教授)「検死写真にショックを受けた。多くの遺体。寝られなかった。」

関西大学の河田惠昭特別任命教授です。
都市災害の専門家として震災当日に神戸入りし、衝撃を受けました。関東大震災を念頭に大規模な火災が起きなければ、犠牲者は拡大しない。大方の専門家の幻想を打ち砕いたのが阪神淡路大震災でした。

東日本大震災その後の東日本大震災や熊本地震など災害のたびに「想定外」「異例」との言葉が繰り返された25年間。河田教授は災害をわがこととしてとらえることが重要と訴えます。

母親を失った幕内淑子さんは震災から4年後、19歳で結婚し長女を出産しました。長女の夕利安さんはいま20歳。今月成人式を迎えました。幕内さんは夕利安さんを母・和子さんの生まれ変わりと考えています。

夕利安さんは和子さんの死を胸に刻み、次の時代に震災の記憶を伝えて行きたいといま、考えています。
多くの犠牲者を胸に、災害をわがこととして。あの日から25年。わたしたちひとりひとりの新たな一歩が始まります。