1911年の巨大地震「喜界島地震」とは

マグニチュード9。死者・行方不明者、1万8000人余りに及んだ東日本大震災から7年が過ぎました。

実は、今から100年以上前、県内の離島でも同じプレート境界型の巨大地震が起きていました。
風化していく記憶をたどりながら、巨大地震への備えや心構えについて考えます。道山記者の報告です。
奄美大島の龍郷町にある九州電力の竜郷発電所。

国内最大級のディーゼル発電機で人口およそ6万人の奄美大島のほとんどの電気をまかなっていますが、今、ある課題を抱えています。

(九電竜郷発電所油井泰一所長)
「4メートルの津波が来たら変電設備が浸かり、送電が止まる」

津波への対策です。

(九電竜郷発電所油井泰一所長)
「水に浸かった設備は復旧に数か月必要。(奄美大島の他の)残った発電設備を利用するか、移動用発電設備・電源車を持ってきて供給する」

龍郷湾の奥にある竜郷発電所の標高は2メートル。
県の想定では6メートル以上の津波が襲うおそれがあるとされています。

この想定の根拠のひとつになったのが、1911年、明治44年6月15日に起きた喜界島地震です。

奄美群島の北東部、喜界島の海岸に残る長さ十数メートルに及ぶ岩盤の割れ目。喜界島地震の痕跡です。

喜界島の近海でマグニチュード8の巨大地震が起き、喜界島や奄美大島を震度6以上の揺れと津波が襲いました。

(鹿児島大学南西島弧地震火山観測所後藤和彦所長)
「喜界島の北東60キロくらいで震源深さ10キロ程度。日向灘より南(南西諸島)では最大の地震」

 

県内で記録に残る最大規模の地震とされていますが、その詳しい実態は分かっていないといいます。

複数の文献に共通するのは、喜界島や奄美大島、徳之島などであわせて12人が死亡したとされていること。

喜界島では最大で10メートルの津波が襲ったとみられていますが、町の記録には死者1人、400軒余りの民家が全壊したとしか残っていません。

島の赤連地区に暮らす得本拓さん。
得本さんは両親がそのまた親から伝え聞いた喜界島地震の津波の様子を聞いていました。

 

(得本拓さん)
「この山の標高が15~16メートルくらい。その下まで潮が上がったと聞いている」

時とともに忘れられていく災害の記憶。得本さんは当時の記憶を語り継ぐことが大切だと話します。

(得本拓さん)
「(災害の記憶は)すぐに忘れてしまう。ここにも津波が上がってきたという事実をしっかり覚え、伝えられたことを語り継いでいくべき」

一方で語り継がれてきた記憶を記録しようという動きもあります。

震源地から南西におよそ70キロ離れた奄美大島。

喜界島地震で少なくとも8メートルの津波が襲ったとみられています。
「あのお年寄りが生きてたら分かったのに…とか、聞き取り調査ができるのもタイムリミットが来ている」

鹿児島大学の井村隆介准教授はこの日、瀬戸内町で学生とともに喜界島地震の実態を探ろうと聞き取り調査をしました。
(井村准教授)
「すみません、ちょっと…」
(住民)
「津波が屋根まで来たって(聞いた)」
(井村准教授)
「手安(瀬戸内町)で?明治44年に家まで(水が)上がった?」
(住民)
「よく話を聞かされたよ」
(井村准教授)
「これもお母さんに聞かなければ記録に残らなかった。ちゃんと書いて残します」
(井村准教授)
「(記憶を)伝えていかないと(災害は)忘れた頃にやって来る。忘れないようにするのが防災上、一番重要」

100年、200年周期で起こるとされるプレート境界型地震。
これまでの地質調査などから、喜界島や奄美大島には喜界島地震以前も津波が襲ったとみられています。

鹿児島大学の後藤教授は巨大地震は「どこでも起こる」という意識を持つことも大切だといいます。
(鹿児島大学南西島弧地震火山観測所後藤和彦所長)
「県のマグニチュード8クラスの地震想定が並んでいるが、人によってはここで起こるか、ここで起こるかという見方をしているが、そういう意味ではなく、どこで起こっても不思議ではないという意味。
南海トラフは地震が起きても津波到達まで時間の余裕あるが、近くで起これば時間の余裕ない。遠くの大きな地震と違う意味で、近くの地震に注意しないといけない」

いつ起こるか分からない巨大地震と津波。命を守るための備えと心構えが求められます。