慶応3年4月6日 四侯会議とは?

明治維新1年前の慶応3年・1867年5月、薩摩藩など有力な4藩の代表らが幕府と激論を戦わせた四侯会議が開かれます。それに向け薩摩の島津久光は大阪に滞在していました。きょうは会議に臨む薩摩の思惑に迫ります。

慶応3年4月6日 四侯会議とは?

きょうは慶応3年4月6日です。大阪に滞在している薩摩藩の島津久光が参加する「四侯会議」とはどういうものなのでしょうか。

慶応3年4月6日 四侯会議とは?

第二次長州征伐に失敗した幕府の権威失墜に拍車をかけたのが孝明天皇の崩御とそれに伴う明治天皇の即位です。それまで幕府に罰せられていた薩摩・長州寄りの公家が特赦により朝廷に復帰してきます。朝廷との関係を深める薩摩が開催を呼びかけた四侯会議。島津久光のほか宇和島・越前・土佐の有力藩の代表と将軍・徳川慶喜が出席します。薩摩には、会議で慶喜の政策を追及した上で、有力藩による合議制をしき、幕府の力を削ぎたいとの思惑がありました。

慶応3年4月6日 四侯会議とは?

歴史家・作家加来耕三さん「日本史においてひとつの分岐点だった。うまくいけば戦争を伴わず、日本の国全体を変えられたかもしれない。その運命の会議に薩摩の島津久光が乗り込んでくる」
以上、幕末ニュースでした。