慶応3年6月27日 久光 会津との決別伝える

きょうは慶応3(1867)年6月27日です。薩摩の島津久光が、きょう息子の藩主・忠義へ送った書簡で、会津藩との決別が伝えられていたことがわかりました。

久光 会津との決別伝える

久光からの書簡には「会津も幕府側であるから憎むべきである」との内容が書かれていて、薩摩にとって、会津は敵という認識が示されています。

久光 会津との決別伝える

その会津と薩摩はもともと同じ公武合体派として盟友関係にありました。4年前の文久3年(1863)、京都で起きた「八月十八日の政変」では協力し当時対立していた長州を京都から追放しました。一方、会津は徳川の血を引く松平容保が藩主を務めるなど幕府派の筆頭格。これに対し薩摩は幕府にかわる朝廷中心の政治を目指すなど、姿勢を変化させています。

久光 会津との決別伝える

そして、先月の四侯会議などを経て、薩摩は武力による倒幕の方針を固め、幕府派の会津とは敵対関係となることがはっきりしました。
今回の書簡は盟友関係にあった会津と決別し、倒幕へ向かう久光の決意を示したものといえそうです。
以上、幕末ニュースでした。