慶応4年7月10日 新政府 戦死者の慰霊祭開く

きょうは慶応4(1868)年7月10日です。新政府はきょう、1月以降の戦死者の慰霊祭を開きました。

京都の新政府は、今年の1月以来、旧幕府側との戦いで新政府軍として戦死した各藩の兵374人の慰霊祭を加茂川東操練場で開きました。
この慰霊祭は、きょうとあすの2日間にわたって行われる予定です。

1月の鳥羽・伏見の戦い以降、上野戦争や東北・北越の各地で常に最前線で戦っている薩摩藩の戦死者は、120人にのぼっていて、新政府軍の戦死者のおよそ3分の1を占めています。

今も奥羽越列藩同盟との戦は、東北・北越で続いていてまだ終結に向かう気配は見えません。
新政府が朝敵としている会津藩とは、奥州白河口で直接戦い、庄内藩とも戦端が開かれようとしています。薩摩藩兵は、いずれの戦地にも従軍していて、さらなる犠牲を覚悟しなければならない状況にあります。

ところで、新政府には戦争を遂行するための財源が圧倒的に不足しています。新政府軍全体を統括する軍務官判事の大村益次郎は、6月末の奥州白河口の戦いで、前線が要請した銃と弾薬の補給を断りました。

関係者によりますと、大村は、「弾薬が1人200発もあるというから、それで充分白河はおちる。彼等が言う通りに弾薬を渡してやると、いくらあっても弾は足りない」と話したということです。