慶応4年7月4日 久保田藩 列藩同盟から離脱

きょうは慶応4(1868)年7月4日です。東北地方の久保田藩は、奥羽越列藩同盟から離脱し、新政府側につきました。

秋田・久保田藩は、奥羽越列藩同盟の一員でしたが、新政府側と同盟側のどちらにつくかで藩内の意見が割れていました。
そんな中、藩主・佐竹義尭は、新政府軍の奥羽鎮撫総督、九条道孝を城に招き、城下には薩摩や長州などの藩兵およそ1200人が入っていました。

その久保田藩に対し、同盟側の仙台藩は志茂又左衛門ら使節団11人を送り、「九条を引き渡し、新政府軍を皆殺しにしなければ攻撃する」と迫りました。

どちらにつくか態度をはっきりさせない久保田藩首脳に対し新政府軍の参謀で薩摩藩の大山綱良は、同盟軍と戦うよう迫りました。

その一方で大山は「仙台藩の使節団は、実は刺客集団である」との話をでっちあげ、久保田藩の青年藩士たちをそそのかしたということです。
この扇動に乗せられた久保田藩士たちは、仙台藩の使節団全員を殺害してしまいました。

この結果、久保田藩は奥羽越列藩同盟を離脱し、新政府側につくことになりました。5月に31藩で結成した同盟から離脱が出たのは初めてです。