慶応3年4月25日 寺田屋事件後 日本の動き

寺田屋事件後 日本の動ききょうは慶応3(1867)年4月25日です。文久2年の「寺田屋事件」から5年。きのうは当時の事件の概要を振り返りましたが、きょうはその後の日本の動きです。

寺田屋事件後 日本の動き5年前の文久2年4月、1000人の兵士を引き連れて、京都入りした島津久光。「治安を乱す京都の志士をしずめるように」という天皇の勅命を受け、寺田屋で京都制圧を企てていた薩摩藩士らを討伐しました。「以後も浪士鎮撫に努めよ」との2度目の勅命を受け、朝廷からの信を得た久光でしたが、実は兵士を引き連れた上洛は、幕府の許可を得ていませんでした。しかし幕府は、法度にしたがわず、兵を率いて上洛した薩摩を武力で止めることができなかったのです。

寺田屋事件後 日本の動きアメリカの要求に屈し、鎖国を守れずに締結した日米修好通商条約(1858)や大老・井伊直弼の暗殺(1860)と並び、久光の上洛は幕府の権威にかげりが見えたことを天下に印象づけました。幕府にかわり、国をどう導くか?久光は、有力藩の合議制による朝廷中心の政治を目指し、来月の四侯会議に臨みます。
以上、幕末ニュースでした。