慶応3年4月24日 寺田屋事件から5年

寺田屋事件から5年きょうは慶応3(1867)年4月24日です。振り返れば、きのう4月23日は、薩摩藩士が同士討ちとなった文久2年の「寺田屋事件」からちょうど5年でした。

寺田屋事件から5年5年前の文久2年、島津久光は1000人の兵を率いて京都に入り、朝廷から治安を乱す京都の志士をしずめるようにという勅命を受けます。一方、過激な思想を持つ薩摩藩士の有馬新七らは、他の藩の侍や浪士らと京都を制圧し、幕府に尊王攘夷を迫る計画を実行しようとしていました。これを知った久光は、計画を思い止まらせようと、藩士9人を有馬らがいる宿屋・寺田屋に向かわせます。抵抗した場合の対応を問われた、久光は、「臨機の処置があろう」と答え、同士討ちを容認しました。寺田屋では、有馬らと親しい藩士が説得しましたが、失敗。斬りあいになり、有馬新七ら6人が死亡、3人が切腹となりました。

寺田屋事件から5年同士討ちという悲劇でしたが、この事件で、久光は朝廷から信頼を得、その後、公武合体や来月の四侯会議を主導していく影響力を持つことになるのです。
以上、幕末ニュースでした。