慶応3年12月26日 上洛命令に慶喜は

きょうは慶応3(1867)年12月26日です。
新政府は、大坂城にいる前将軍・徳川慶喜に兵を率いずに上洛するよう命じました。

紛糾

新政府の中心は、武力倒幕派の薩摩・長州です。兵を率いない上洛命令に従えば、慶喜の身の安全を確保できないと、大坂城の幕臣たちの会議は紛糾しました。
尾張の徳川慶勝ら幕府よりの新政府幹部に働きかけ、安全を確保しようとする穏健派もいれば、一気に薩長を叩くべし、とする強硬派もいます。

焼き討ち

一方、江戸ではきのう庄内藩などの幕府軍が、御用盗の犯人引渡しに応じないとして薩摩藩邸を大砲や焼き討ちで攻撃しました。
薩摩藩邸からは御用盗の実行役とみられる浪士およそ150人が逃亡し、一部は品川から薩摩藩の翔鳳丸に乗船。旧幕府の軍艦・回天丸の追撃を振り切り、西へ逃走したということです。

注目

なお、江戸で旧幕府軍が薩摩を攻撃したという情報は慶喜の元にはまだ届いていません。
慶喜は、政府内の親幕府派を足がかりに諸侯会議での政権復帰を狙い、本格的な戦闘を避けていましたが、今後の出方が注目されます。
以上、幕末ニュースでした。