三遊亭圓歌さん

錦江町出身の落語家で、今年3月に四代目を襲名した三遊亭圓歌さんです。

(三遊亭圓歌さん)
「何回か行っているうちに、この島は何か違うなと感じるものがあった。不思議と癒される。」

落語家の三遊亭圓歌さん60歳です。

旧大根占町、現在の錦江町出身で、30年以上に渡り初代・三遊亭歌之介として落語家人生を歩んできましたが、今年3月に四代目・三遊亭圓歌を襲名しました。

(三遊亭圓歌さん)
「都内50日間連続の寄席を襲名披露で回ったが、精神的に気疲れでくたくたになった。体の疲労よりも気疲れの方が疲れが取れない。肉体の疲労は襲名披露が終わって次の日にマッサージに行けば回復するが、気疲れは10日間くらい続いた。時間があったので屋久島に行って海岸で40分間くらい海風を浴びていたらリセットできた。」

初めて屋久島に行ったのはおよそ40年前。
師匠のかばん持ちで訪れたのが屋久島との出会いでした。
以来、島の自然に魅せられた圓歌さん。
18年前、42歳の時には別荘を建てました。

(三遊亭圓歌さん)
「満天の星を見ながら眠りに就きたくて、大工さんにお願いして1mくらいのガラス張りの屋根を造った。ただ1回くらいしか見たことがない。雨が多いので。」

同じ42歳の時には厄払いであることに挑戦します。

(三遊亭圓歌さん)
「厄年だから、厄は屋久で落とす。何で暑い8月4日に走る訳?8月4日、(語呂合わせで)走る。島は1周何キロ?島1周ちょうど100キロ。60キロ辺り、宮之浦の港の手前辺りで左ひざが言うことを聞かなくなってしまって倒れた。女房が氷で冷やそうと言った。この左ひざで残り40キロは絶対走れない。女房をじっと見て『お父さん、無理はしちゃだめ。残り40キロ、私が代わりに走るから』と言ってくれないかと訴えるような顔で見続けたが、そういうことは言わない女。氷が全部溶けたらひざを叩いて『GO!』と言った。何が『GO!』だろうと…。結局、無念のリタイヤだった。」

今でも毎年欠かさず屋久島を訪れる圓歌さん。

縄文杉への思いも強く、知人が撮影した写真を大切にしています。

(三遊亭圓歌さん)
「3回見に行っているが、冬の縄文杉は見たことなかった。満天の星が写っていて、こっちは雪。凛とした縄文杉が満天の星をバックに、エネルギーがもらえる。(Q.圓歌さんにとっての屋久島を一言で表すとしたら)子どもに唯一かえることができる場所が屋久島。屋久島で撮った写真は良い笑顔をしている。亡くなった時の遺影は屋久島で撮った写真にしてもらいたい。」

屋久島の自然を力の源に、四代目・三遊亭圓歌としての落語家人生は
始まったばかりです。

(三遊亭圓歌さん)
「新作落語で評価を受けたので、現代の落語をたくさん作っていかなければいけない使命がある。屋久島なら、どんどん書けそうな気がする。川のせせらぎを聞きながら。400mリレーのアンカー。師匠の三代目・圓歌がものすごいスピードで第3コーナーを走り抜けたので、圓歌のバトンをしっかり握って全力疾走あるのみ。」