鹿児島市出身の俳優、迫田孝也さんです。
奄美での映画監督との出会いが役者を志すことになった迫田さんに、奄美への思いを語ってもらいました。
(迫田孝也さん)「それこそ役者・迫田孝也誕生の地ですから。今の僕の土台になっているのはやはり奄美の時間、生活、空気、自然だと思います」
鹿児島市出身の俳優、迫田孝也さん42歳です。MBCで放送したドラマ「集団左遷」などの話題作に出演したほか、大河ドラマ「西郷どん」では佐賀藩士の江藤新平を演じながら、「薩摩ことば」の指導も担当しました。
(迫田孝也さん)「バレーボールをずっとやっていたんで、それの顧問がやりたくて保健体育の道に進むにはと考えたら、広島がいいんじゃないかと」
Q.「じゃぁそのときは俳優の『は』の字もなかった?」
(迫田孝也さん)「はい、全くなかったですよ。俳優は全然なかったですよ」
迫田さんは鶴丸高校を卒業後、体育教師を志して広島大学に進学。20歳のとき、友人の誘いで初めて奄美大島を訪れます。それまで奄美に抱いていたイメージといえば…
(迫田孝也さん)「『南国』ぐらいです。花、ハイビスカスみたいな。花とかなんかそういう風な」
友人の親戚が経営していた奄美大島・瀬戸内町のホテルで、アルバイトをしながら1か月を過ごした迫田さん。五感で感じた奄美は別世界だったと振り返ります。
(迫田孝也さん)「すごく広さを感じた。空であったり海であったりっていうのも。世界がちょっと広がったっていうか。そういった感覚を味わったのは覚えていますね。奄美が呼んでたんですね。おいでって」
そして、そこで待っていたのは人生を変える出会いでした。
(迫田孝也さん)「ちょうど僕が滞在してたときに、山田洋次監督のスタッフご一行が同じところに来られたんですよ。撮影のときも、そのホテルに宿泊されてて気に入ったんでしょうね。僕はそこの(ホテルの)お父さんから一緒になって遊んで盛り上げてくれと言われて。それ、得意ですと思って。そのスタッフの人たちと過ごすことになったんですよ」
映画「男はつらいよ」シリーズの撮影で瀬戸内町に滞在していた山田洋次監督の撮影スタッフと親しくなった迫田さん。さまざまな話を聞くうち、役者の世界への興味が一気に高まります。
(迫田孝也さん)「監督たちが来られた初日とかも、外から見てるような感じだったんですけど、3日目には自分の中で決まって。僕はこの方たちと一緒の世界に飛び込む、役として飛び込む。3日目の話はどうやって役者になったらいいですかとか。あれだけ空も広くて海も広くて、あの環境でそういう風に思えたから一気に芯ができたんじゃないですかね。この決心が」
Q.「奄美が背中を押してくれた?」
(迫田孝也さん)「はい、すごく押してくれたと思います」
日本を代表する映画監督との出会いからおよそ20年。迫田さんは再び奄美を訪れ、新たな出会いを成長につなげたいと言います。
(迫田孝也さん)「次、奄美に行ったときに、もしかしたらですよ。あの空気に触れたらもう一回何か、役者になった迫田孝也から、もう一個何か生まれるんじゃないのかなっていう風な期待はあるんですけどね」
Q.「また新たな背中を押してくれる?」
(迫田孝也さん)「それが何かっていうのは用意していったらなかなか、奄美の自由に物事を考えられない気がするので、決めずに思い付きで行きたいなとは思います」